最後の大人

ライフワークは積ん読。

 映画は見るのも好きだけど、映画について書かれた本を読むのも大好き。
 と言っても、気取った批評家や学者が書いた、楽しい映画もつまらなくなる文章は大嫌い。
 どんなジャンルやストーリーでも、重いテーマを扱った社会派な映画でも、複雑な人間関係を描いてても、まずは楽しくなければ映画じゃないもんね。
 でも、最近はそういう読んでも楽しい映画の本って少ない気がする。スノッブな映画好き(例:『映画秘宝』系ライター)とかフェミ系論者(例:名前を言ってはいけないらしいシェイクスピア研究者)が書いた偉そうな解説とか考察本なんてこちとらお呼びじゃないんだな。
 ミーハーに、ワガママに、好きな映画のことを自分の好きなように語ってもいいじゃないの。
 そんな映画を見る原点に返らせてくれたのが、長沢節さんの『セツの100本立映画館』(草思社)だった。

 長沢節さんと言えば、ファッション・イラストレーターの第一人者で、セツ・モードセミナーを主宰していた人。
 ファッションに強い関心があったある年代までの人たちにとっては、まさに先生のような存在だったと思う。
 自由を尊び、老いも若きも成熟拒否願望に取り憑かれている日本で、「大人の女こそが美しい」と大人であることを称揚し続けた。
 その意志は、セツ・モードセミナーという場所にも反映されていて、国にこうしろと教育内容を「指導」されることを嫌って、ここは学校法人格を取得せず、会社法人として運営していた。
 そして、「本当の大人」である節さんのセンスや真に自由な校風に憧れて入学を希望する人たちがたくさんいて、また節さんも「お金がない学生から高い学費は取りたくない」と授業料はかなり押さえた金額だった。
 Wikipediaでセツ・モードセミナーの記事にある卒業生の名前を見れば、節さんが与えた影響が分かるはず。

 そんな節さんは、映画も大好きだった。
 この年代の人たち(節さんは1917年生まれ)は、映画が娯楽の王様だった時代に子ども時代~青春時代を生きてきたから、映画に対する思いは今の若い子(と言えるようになってからが大人です)と比べものにならないくらい熱い。
 私が勝手に恩師と呼んでいる淀川長治さん(節さんと8つ違い)もそうだった。
 そういうこともあって、セツ・モードセミナーには節さんが見て面白かった映画の推薦文のような、「今月のセツ推薦映画」が壁に貼ってあったという。
 で、その「推薦映画」を見ていた『装苑(現『SO-EN』)の当時の編集長が、「じゃあ、ウチで映画欄を書いてください」と頼まれて書いていたのをまとめたのが『セツの100本立映画館』。
 発行されたのが、「1985年3月5日」というから、もう40年も前の昔の本。
 でも、映画を見る楽しさ、好きな映画を語る嬉しさはちっとも古びていない。
 独断と偏見でつけられる点数や、節さん自身の趣味や審美眼から見た俳優たちの美や個性の面白さは、レビューサイトではお目にかかれないユニークさ。

 節さん好みの映画は、ヴィスコンティやベルトルッチを始めとした70年代に黄金期だったイタリア映画から、ニュー・ジャーマン・シネマと呼ばれてたドイツ(と言っても西ドイツ)映画などのヨーロッパの作品が多かったけど、アメリカ映画だって勿論お好きだった。日本映画だって嫌いじゃない。とにかく映画というものを心の底から大好きな人。
 だからこそ、ガッカリさせられた映画に対しては辛辣で、

『未知との遭遇』の最後のシーンで、宇宙船から縫いぐるみ並みの安っぽい宇宙人が現れてげんなりした覚えがある。

 なんて書く。世界的に大ヒットした作品でも、自分の眼鏡にかなわなければ容赦なく低い点数をつけるし(『E・T』とか『スター・ウォーズ』のような「子どもだまし」なSF映画とか、『ある愛の詩』みたいなお涙頂戴の安っぽい恋愛映画とか)、マイナーな映画でも素晴らしいと思えば情熱的に激賞する。
 昔読んだ時はあまり知識もなかったので何も思わなかったけど、今読んで意外と感じた部分もあった。とは言うものの、考えてみると節さんの感性を考えるとまったく意外じゃなかったのが、タルコフスキーなどが手がけたソビエト映画(そういう国もあったのよねー)についての印象。

 まるでフランスのアラン・レネも顔まけといわんばかりの気どったしゃれたそのスタイルには、社会主義の田舎臭さなどはみじんも感じられなかったし……「意識の流れ」の映像は高級だった。うっかり油断しているとそこで理解を困難にしてしまうほど……。

 と絶賛していた(全てのソビエト映画に対してではないけれど)。
 他にも、「サブカル男のアイコン」セルジュ・ゲンズブール評がかなり辛辣だったのも面白い。ゲンズブールの映画『ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ』を見て、

 奇をてらっただけのむなしさに見えたのだから、ひょっとしてこの人は有名な割にはインチキなのかもしれないという偏見を持った。
 つまり女を相手にしたときはいつも天才かと思うほどのひらめきを見せるのだけれど、本式の仕事となると気取りばかりで、化けの皮がはがれてしまう……日本にもそんな天才がときたまいるだろう。

 と、こう書く人は見たことがない。
 ゲンズブールは天才というのが定説だから、これに異を唱えることなんて考えられないみたいな雰囲気がある。多分、持ち上げてる人には自分なりの物差しがないから、ゲンズブールのムード芸にコロッとやられてるだけなんじゃないかという気がする。節さんのように「これだけは譲れない」というものがある人は、上っ面だけの底の浅い作品の嘘臭さを嗅ぎ取ってしまうのかもしれない。

 1本1本に関する文章は短いのに、こんな感じでハッとさせられることが沢山ある『セツの100本立映画館』、図書館で見かけた際は是非手に取って見て欲しい。
 そして、長沢節さんの他の本や画業にも興味を持ってくれると嬉しいな。

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